朝4時。
悪魔の数字。
今日、私は朝4時に起きた。これはたまたま朝4時に起きたのではない。私の経験が起こした必然なのだ。
今日は私を起こしたその経験について書いていきたいと思う。
梅雨明け頃だろうか。私は健康のために朝4時に起きランニングをすることにした。
朝4時に起きてまず分かったことがある。
私は朝4時に起きるために前の日は8時に寝たのだが、この時間の睡眠は非常にタイパが悪い。
いつも夜更かししているのもあるのだろうか、どうも12時より前にはなかなか寝付けない。
そのため8時からの睡眠は2時間ほどの多動症を経験した後、半分意識を保ちながら寝るという、とても「睡眠」とは呼べない拷問を受けるのである。
このような状態になると起きても常に行動を考えてから自分が始まるようになるのである。
わかりやすく言うと、コントローラーで自分を動かしている感覚である。
どう自分を動かすか考える→コントローラーを操作→自分が動く。
という順番で常に動かなければいけない。

外の自分による支配

そうこのタイパに対する思いは、時間のみを見て、時間に生き、時間に縛られたそこらのタイパとは違う。
自分から常に先立つためのどうしようもない欲求なのである。
しかし本当に常に自分から先立つ世界などあるのだろうか。人は脳で考えてから行動する。
これは、行動を考える→自分が動くということと同じなのではないか。
しかし、自分の体が常に最初にいない世界なんて虚しすぎるではないか。
我々は脳に支配されているというのが私にはどうしても重圧に感じるのである。
さて、そんなこんなで私は家から私を出した。
「暗い」
初夏というのはもう4時くらいには明るくなっているものだと思っていた。
私は玄関の鏡でさらわれてしまうくらいかわいい自分の顔を見た。
私は、多動症に加えナルシストを発症することで犯罪イベントを回避した。
日の出はどうやら30分後らしいので、30分布団で睡眠を補った。
そうしてようやく私はランニングをし始めるのであった。
私は結局私というアバターを世界の外側から走らせた。
世界の外側。つまり、コントローラーを握っている私側の世界とはこうも暗いのだろうか。
そのようなことを想像していると、コントローラーを握っている側の私の世界になぜか光が現れた。

現実世界の侵入


太陽だ。
普通の世界を想像し、非現実的な私の世界に当てはめようとしているのだ。
やはり世界は虚しい。所詮脳に支配され続けるのだ。脳も自分の一部だって言いたいのかい。
それはもう君が完全に支配されているという宣言に過ぎない。そんな君は私を反例にするのがいい。
だって私は、この自由な空間に太陽など呼んでいないのだから。
ついには現実世界の太陽が私の世界を覆い、外側の私は心の重圧で死んでしまった。
私は意思を失ったのだ。私はサイボーグに過ぎないというのか。
そのように自分を否定することで私はサイボーグをも否定する。
暗闇の私が消えた瞬間私にはどうも視点が一つだけ消えたようには思えなかった。
かつては俯瞰できていた世界が、今は私という色眼鏡のうちに見えている。

重圧により消えた視点

なんていうことだ。外側の私がそんなに大切なあなただったなんて。
君の素敵なフィクションが私に少しの暗闇をくれたんだね。
こうして世界は私の付属品となった。これは私中心に世界が動いているわけではない。
世界を回すことで私を動かしているのである。
私が書いているから世界を私の付属品と言っているのである。
何はともあれこうして4時という数字が生まれた。
この4時とは時間という縦軸からの重圧だけではなかった。世界というフィクションが私に横の重圧をかけている。
だからこの4時はアイデンティティを持つのである。
「今日は特別眠かったなあ。」
違うな。これは眠いのではない世界の重さに私の瞼が耐え切れないのだ。